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赤目養生所とは
所長のエッセイ集
 
赤目養生所
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食材から経済、政治を考える。

現在、日本の食料自給率は40%を割り込んでいます。コメこそほぼ全て国産ですが、和食に欠かせない味噌や醤油、豆腐、納豆の主原料である大豆は、なんと40年も前から10%を切っています(平成16年は3%)。肉、魚も50%前後です。 (http://www.kanbou.maff.go.jp/www/jikyuuritsu/dat/2-5-1-1.xls

一部の発酵や分解を要するものを除き、食べ物は新鮮なものほど良い、これは言うまでもありません。外国から運んでくる食べ物は収穫時点では新鮮でも、輸送に時間がかかり、その間に腐らないようにさまざまな処理を必要とします。熟す前に収穫もしなければなりません。対策としては、薬(ポストハーベスト)を使うのが最も簡単です。自分が食べるのではありませんから、体に毒があるものでも使えます。腐る前に相手国に届くことが大切です。実際、規制以上の残留農薬が輸入食品から検出されたとの報道は、まれなことではありません。

国内産でも、「近くの物ほどよい」のです。
土地で取れた新鮮なものを食べるのが最も体によい。これを仏教用語から転じて、「身土不二」 といいます。その土地(の産物)と身体とは一体である、という意味です。
特に野菜は、冷凍などによる保存や味の維持が難しいので、新鮮であることがとても大切です。しかし店先に並ぶ野菜の多くは、遠くから時間をかけてトラックで運ばれてきたものです。季節はずれのハウス栽培も多くあります。作物はかなり無理をしているでしょうし、自然環境にも負荷をかけています。

生産量を確保する意味から、農薬使用を正当化する声は根強くあります。
そうはいっても、多くの農家の方は、御自身が食べる野菜は無農薬でつくられているはずです。

残留基準が定められている農薬には、数え切れないほどの種類があります。
(一覧 http://m5.ws001.squarestart.ne.jp/zaidan/agrall.php
これらは一律に0.01ppm 以下であること、と決められていますが、基本的に、生体に有害なこれらの物質は、どの程度の量が人体に影響があるかを、正しく判断することは非常に困難です。数十年後に影響が出るものや、生殖細胞への影響(次世代への影響)なども考慮すれば、使用しないに越したことはありません。

しかし現在は、あらゆる食材の生産現場が、輸入品の攻勢にさらされ、なるべく安く、大量に、安定的に(すなわち工業品のように)作物を作ることを余儀なくされています。そこでは、新鮮さ、安全性、作物の健康度(栄養価)は、二の次です。ましてや国土の保全、生産者の健康、食糧安保などは、テーマの外です。一部の良心的な生産者が、厳しい労働に命を削って、良質の食べ物を作って下さっています。またようやく近年、地産地消が謳われる場面こそ増えてきましたが、地域、地方、国土に根ざした健康的な食料の生産は依然難しいままです。無農薬栽培ともなると、なおさらです。これは、生産者、消費者、農政者、皆で改善策を考えるべき課題です。

食は命と健康の根幹です。だのになぜ私たちは、この土地で取れた、安全で新鮮な食べ物を手に入れにくくなってしまったのか。御存知のとおり、国の食料政策の無策が大きいのです。

戦後、政府は、日本には「資源がない」との理由で「科学技術、工業」立国を推し進め、その生産物を輸出品目とすることを優先するがあまり、最も大切な、国民の健康と国土を支える第一次産業を壊滅的な状態に追いやってしまいました。そこには、自国での余剰農産物を捌き、かつ将来にわたって自国産品の上得意になってもらうべく日本国民の味覚を教育してきた(そればかりではないにしろ)アメリカの思惑が明らかにあります。パン、牛乳が必須の学校給食が戦後60年以上経った今でも残っているのがその最たるものです。
近年では、安全保障上の文脈でその重要性を語られることも増えた食料、農業問題ですが、国内の第一次産業を立て直すには数十年単位での時間がかかります。アメリカ然り、フランス然り、オーストラリア然り、カナダ然り。国際的に安定した地位を保ち、発言権を維持している国に共通していることは、「伝統的農業国である」ということです。

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